愚痴は、言ってもいいんです。

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ちるる
ちるる

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夏休みも目前の今日、個人懇談に行ってきました。

10分程度というわずかな時間で担任教師から学校での様子を聞き、家庭で気になることを言うという慣例行事です。

毎回まとめのテストを渡されて、わが子がどの程度勉強面でついて行けているかなどをざっくり聞かされますが、わたしは毎回「勉強のことはごめんなさい、興味がありません」と言います。

もちろん、今日もそう言ってきました。

そんなことよりも、一日の大半を過ごす学校の中で、親の代わりにわが子を見守ってくれている(はずの)担任教師と「子供の心身の成長面における指導・教育方針」についてお互いがどのように考えているかを確認しあうことの方が、わたしにとっては大切なのです。

学校は、勉強だけをしにいくところではない

息子は小学校6年生です。

実の父親に虐待を受けた幼少期、息子はほとんど喋らない子でした。

そして、感情の言語化がうまくできず、ずっと情緒不安定で泣くばかりしていました。

わたしも、コミュニケーションの取れない息子の育児にノイローゼになりかかった時期もあり、小児の精神科医に通ったり心理士さんの元へプレイセラピーを受けに行ったりしたこともありました。

事実、広汎性発達障害のグレーゾーンと診断され、特殊な一面は「天才脳」のせいだと。それで普通の子が当たり前に出来る事が出来なかったり、また逆にその年齢の児童には出来ないことが出来たりするのだ、と。

「こだわり」や彼ら特有の「触覚」、神経質すぎる気質など、それらが生きにくい方向へ大きく傾かないように、わたしは自分自身に『おおらかに育てよう』と言い聞かせました。

個性は伸ばし、出来ないことを責めず、のんびりとその子のペースで生きていけるようにしよう、と。でも心がけてはいても、わたしも一足飛びには変われない普通の人間なので感情的になる事も多々あり難しく、お互いにぶつかりながら息子と一緒に成長してきた感じです。

小学校に上がる時に「心配な事」を書く欄があり、そういったことをこまごまと記入したことを今でも覚えています。

学校に入ると驚くほどのびのびと社交的になり、一年生の運動会では開会式で前に立って選手宣誓をしたほどでした。当時の担任の先生もとても優しくておおらかな方で、その影響ももちろん大きかったと思いますが、一番良かったのは「友達に恵まれた」ことだと思います。

息子が友達から得たことは非常に多くそして有意義で、わたしは感謝しかありません。今でも常に仲間と一緒に楽しそうにしています。

なんでも言い合える、信頼しあえる仲間がいる、ということは、かけがえのない宝物を得たのと同じです。

最近は授業でも「弁論の場」を設け、クラスメートと討論会をしています。思ったことをなんでも言い合える雰囲気の中、本人たちはゲーム感覚でとても楽しそうな様子でしたが、参観する側はいささかハラハラしました。

子供たちの間にもある「人間関係」

人は、本音を素直に見せる人と、そうでない人とがいます。

表面上はにこにこと穏やかにその場に合わせていますが、心中は妬みから不満や怒りを募らせている場合も珍しくありません。

それは、自分の本音をうまく言葉や態度にして表出することが出来ない人や、一時的にそういった状況に置かれた人が陥りやすい状態ではないか、と思います。

息子が、自分の考えや意見をしっかり言えるようになったのは本当にいいことなのですが、わたしはクラスのほかの子供たちのパーソナリティまでは把握していないので、『浮いている』とか『うざい』とか、そういった印象を持たれていないか心配でした。

つまり、思春期にそろそろさしかかり、それぞれが未成熟で自分自身のことも冷静に扱えず、自力で感情的な問題の解決も出来るかどうか分からない集団の中で、もちろん息子もその中の一人として本人の気づかないうちに誰かの気持ちを傷つける言動をしていないか、心配でした。

幸いそういった様子は無さそうだったので安心したのですが、この時わたしが「何を心配しているか」具体的にたとえに挙げたのが、つい先日同い年の子供同士の間で起こった、悲しい、残念な事件でした。

亡くなられた方のご冥福を深くお祈りすると共に、突然大切な我が子を失われたご両親の心中をお察しすると、同年代の子を持つ親として本当にやりきれない気持ちでいっぱいになります。想像したら気が狂いそうなくらい悲しいです。

そしてまた、加害児童となってしまった子と、そちらのご両親の気持ちも考えると本当につらくて言葉が出ません。起こってしまったことはもう二度と元には戻らないし、もちろん彼は一生償っていかなければなりません。

何が理由であっても、命まで奪ってはいけないのです。

一番悔しいのは、このようになってしまった環境要因です。

本当にこの子達を取り囲む周囲の大人含む人間関係・環境の中で、今回の事件を未然に食い止める方法やきっかけが無かったのでしょうか?同じ子を持つ親として残念でなりません。

もうこんなつらい悲しい事件は起こらないように、心から祈るばかりです。

「マイナス」の感情を上手く言語化し難い「思春期」

大人でも、普通に素直な人なら「うれしかったこと」や「楽しいこと」などのプラスの感情は「仲間内」「身内」と見なしている人に対してはウキウキして、それこそ話さずにはいられなくて、ニコニコと自分から伝えるものです。

しかし「愚痴」や「不満」は、人によってはそれを口にすることそのものに一種の「恐怖」や「不安」を感じて表出できないこともあるのではないでしょうか。

つまり「こんなことを言うのは、はしたない」とか「愚痴や不満を言う人は未熟で愚か者だ」という概念に縛られていたり、「こんな気持ちを誰かに知られたら、どんな目に遭うだろうか」と思ったりします。

愚痴や不満は、対象となる誰かにとっては「悪い情報」または「悪意」なので、知られた時点で敵対関係が生まれてしまうことが多く、従って言う相手を間違えたら逆に自分がやりこめられてしまう危険性が高い、というのが一般的です。

もっとも愚痴や不満の対象が、仲間内や身内から距離のある「他人」である場合は何の遠慮もなくしゃべることも出来るでしょうが、それがもともとは仲の良い相手であった場合、あなたはどうするでしょうか。

「なんでも言い合える」はずの間柄は、時に「遠慮」がなくなります。

「仲がいい」という相手に対する「許されるであろうという甘え」から無意識に相手の尊厳や感情を傷つける言動をしてしまったとき、それを、相手が即座に「そういう言い方は無いだろう?」と自分が傷ついたことを言えれば陰性感情が募っていくこともかなり軽減されると思われますが、なかなかそのように冷静に対処できる人は、大人でも少ないのではないかと思います。

口に出して言えなかった感情は、ふつふつと心の中でくすぶります。

そこで「もともと仲が良かった相手からの無遠慮な扱い」が止めば、時間の経過とともにくすぶった感情も次第に薄れていくものですが、一度許された「無遠慮」が継続的に行われたとしたら、最初に吐き出せなかった感情は行き場をなくしたまま募っていくばかりです。

時に好戦的に自分の思っていることをハキハキという息子にわたしが抱いた不安は、まさにそこでした。

息子は、思っていることをけっこうはっきりと言えるようになった。でも、息子と関わっている子の中には、そんな息子の言動をあまり良く思っていない場合もあるのではないか?と。

「大丈夫ですよ。もっと目立つ子いっぱいいますし、○○君とは本当に仲がいいです。お互い大好きすぎる」

笑いながら先生が言ったのでひとまず安心しました。

でも最近、息子は「マイナス」のことを徐々に話さなくなった、とわたしは先生に言いました。それはいつも幸せで明るく楽しく過ごしている、という意味ではありません。

たとえば、自分の不注意でどこかぶつけてそしてそれが痛くて、思うように動けなかったとして、何が起こったか理由が分からないわたしが「(学校へ行く時間が迫っているのに)どうしたの?大丈夫?」と声をかけても、ただふてくされて物も言わず目も合わさず、時には無視するくらいのこともあるのです。

友達と何かでもめた時もそんな感じで、その出来事をわたしに聞いてほしくて説明しようとするのですが、それをうまく言語化できず「うーーーー!もう、いい」とイライラしながら部屋に引きこもったりしたこともありました。

自我が芽生え、葛藤が常に心の中で起こり始める思春期の子は、まさしく子供と大人の境目にいて、未成熟な状態であるがゆえ、自分で自分の何もかもが思うようにいかず、時に親にうまく扱えない自分自身をぶつけてくるのでしょう。

よく知っていて「信頼出来る」存在の必要性

思春期の子供にとって一番信頼できる存在が自分の親であることに越したことはないのですが、いかんせん、思春期というのは「自我が芽生え、親から自立を試みる」時期ですし、親に対しては「甘え」が強くてそれこそ無遠慮になり感情がうまくコントロール出来ない時があります。

人は、調子のいい時はいいのですが、いろいろと具合が悪くなった時こそ、安心して甘えていく存在が必要だと思います。

それが友達だと、親しいあまりに時にはボタンの掛け違えのような事も起こります。

根拠のない不安であったり、寂しさや、無力さ、不信感、そんな感情もわいてくる年頃です。本人にはまだ十分な答えを出すだけの知識、思考力が備わっていませんので、常に不安定な状態に置かれるからです。

そんな時に子供を救うのはどんな存在でしょう。

親よりも少し距離感があり、そして、よく知っていて、知識や判断力が未成熟な自分よりも優れている信頼できる人。

ちなみに信頼できる人とは、自分がその相手から「大切に思われている、大切に扱われている」と感じられることが大前提です。

やはり、教職員や心配してよく声を掛けてくれるご近所さんの存在は大きいと、わたしは思います。

保護者と学校教職員、地域の大人たちが連携して子供を見ていかなければ、その子のいろんな面に気づくことも出来ないでしょうし、子供が本当に弱っているときにそれを吐き出す相手もいなくて、エネルギーだけは溢れ出すように暴走するので、暴力や犯罪などの方向へ走りやすくなるではないでしょうか。

他人は自分の思い通りにはならないからこそ、愚痴は必要

愚痴や批判は、個人に生じた感情や、個人から見たその人の感想です。しかしSNSなどの不特定多数に晒す場合はただ悪意の塊でしかなく、むしろしてはいけない、犯罪行為とわたしは思っているので100%OKというわけでは、もちろんありません。

ただ、聞いてもらう相手を選び間違えると、愚痴った人はただの悪者になってしまいます。

だからこそ、人は誰しも信頼できる親しい人が必要なのです。

たとえば…

悪魔ちるる
悪魔ちるる

あの人のあの言い方はないわ!

めっちゃ腹立つ!ムカつく~!!

おとうさん
おとうさん

そうか…そんな言い方をされたのか。

それは腹が立っただろうね。

つらかったね。

ちるる
ちるる

(あ、わたしの気持ちを分かってくれた)

そう。つらかったの。

もう少し、違う言い方をしてくれたらよかったのにな。

すごく簡単に書きましたが、つまりこんな感じです。

人は、共感してもらえたら、すごく気持ちが楽になるのです。気持ちが楽になるとちょっと冷静になる余裕ができ、客観的な思考回路が働きやすくなるので自分の中で感情の整理をつけやすくなり、相手の立場に立つことだって出来るようになります。

自分の感情のアップダウンや負の感情、悩みとか、恨みとか、怒りとか、そういうものは、誰かに相談して他人に解決してもらうものではないのです。

他人が、その人の心の中の問題を解決することはできません。

でも信頼できる人に話を聞いてもらって共感してもらうことで、自分の中で解決する糸口を見つけることが出来たり、気持ちの整理をつけて、つらいことは忘れる方向にもっていくことが出来たりするのではないでしょうか。

他人のことは、自分ではどうすることも出来ません。

そしてまた「誰にとっても都合のいい人」は存在しません。自分だって、気づかぬうちに他の誰かの気持ちを傷つけていることも、もちろんあるのです。

そうです。お互いさまなのです。

お互い気づかぬうちに生じた亀裂を、対等に気持ちを話し合ってお互いに理解しあうか、それが出来ないのであれば、自分の考え方や、対応の仕方を変えていく以外に方法はないと思います。

もうひとつは、物理的に離れる、という方法もありますが、これは場合によってはそう簡単にはいかないケースもあります。

そしてそのうちのどれも選択できなかったら、どうすることも出来なくて、そしてタイミングも悪くて(人の感情はその時の体調はもとより気候や気温にも大いに影響を受けます)陰性感情がもう飽和状態になってしまって、それまでため込んでいた黒い感情が一気に相手に向かって行ったら…

そんな最悪の事態が、今の世の中ではけっこう頻繁に起こっています。

自分自身のメンタルバランスを自分で完璧に調整し、誰にどんな態度を取られ何を言われても自分の中で消化し解決できる人が、いったいどれだけいるでしょう。

ましてや未熟な未成年の場合は特に、思いやりを持ち親身になりつつ客観的に関係調整をしてくれる存在が必要だと思います。

そして、それと同時に、愚痴や不満を言える環境を子供の頃から作る練習をさせるべきと思います。

愚痴が単なる他人の批判や悪口になるのは、聞き手が原因です。

友達Aから、共通の友達Bの愚痴を聞いたとします。

それをそのままBの耳に入れたら、AはBの悪口を言った事になり、二人の関係が悪化するだけです。話し合いなどで表面上は解決したように見えても、わだかまりが残りやすいのがこのパターンです。

ですが、Aの気持ちを汲んでやり「そうか、お前つらかったんだな」と共感してやり、少しでもBとの関係が円滑になるように自分に出来そうな事がないか考えてあげる、そういう聞き方が出来るような環境を、子供の頃から作ってやるべきと思います。

難しそうですか?簡単です。大人が見本を見せればいいのです。

親でも担任教師でも、子供が勇気を振り絞って友達の事で悩んでいると言って来たら、とにかく親身になって相談に乗るべきです。

そこで逆に「あなたにも問題があったんじゃない?」などと言うのは最悪です。それならまだ頭ごなしに叱られた方がよほど楽です。

自分にも非があったな、というのは、冷静に自分の気持ちを整理していく段階で自然に導き出される答えです。他人に言われるとその事実を拒絶したくなる気持ちが大きくなり、そこで子供は心を閉ざしてしまいます。

もめ事にはたいてい相手がいるので、相談してきた子の話だけではなく、相手の子にも話を聞くべきですが、その時にAからこんな相談があったんだけど、なんて言うのは先述の関係を悪化させるだけの行為ですので、もっと上手にさりげなく話を聞いていくべきと思います。このあたりが、大人の腕の見せ所ではないでしょうか。

…とまあ、詳細に言えばこのような環境作りをお願いします、とわたしは先生に言いました。

幸い、先生もわたしの思いはすぐに理解してくださり、わたしが10、話さなくても要点をおっしゃってくださったので、安心しました。

子供たちは突然思春期を迎えるのではありません。

一日、一日の積み重ねで変化していくので、わたしたち周りの大人も毎日子供たちが「困ったときは誰か助けてくれる人がいる」という安心感を持てる環境を作りながら、その成長を見守っていかなければなぁ、と思います。

人間関係は一生ついて回ります。

信頼出来る大人に見守られ助けられながら成長し、大人になった子供たちが、信頼できる人間関係を今度は自分たち自身で築いていけるようになれば、昨今頻繁に見聞きする悲しく、時に凄惨な事件は起こりにくくなるのではないかな?

と考えました。

長い夏休み、どうか子供達には楽しく思い出に残る有意義なものになりますように。

ちるる
ちるる

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

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